平和会館の歴史

継往開来

昭和三十五年創業。
時代を超えて愛され続ける味。

広大な国土を舞台に
数千年に及ぶ民族の歴史と
伝統がみがきあげてきた味の数々
食に対する驚異的な情熱と
鋭い味覚が
豊富な食材を
みごとな料理へと変えた

HISTRY

1918

1918

台湾 台北市で創業者の「翁 城墻」が生誕。

第一次世界大戦が終結した大正7年(1918年)、創業者の「翁 城墻」は中華料理店店主の息子として台湾 台北市で生誕。幼少期から本格的な中華料理に慣れ親しんだ。この幼少期の中華料理店の経験や本格的な味の記憶が、後の「純中華料理の殿堂 平和会館」創業に繋がる。
※写真は翁 城墻の両親。(左)翁 和尚、(右)翁 陳粉

1960

1960

小倉市魚町で「純中華料理の殿堂 平和會館」を創業。

平和會館の創業者「翁 城墻」は、中華料理店開業の夢をもって16歳で日本に渡航。横浜港に渡り、軍需工場や造船所等で働きながら青年時代を過ごす。終戦後も日本に留まった翁 城墻。戦後復興期から高度経済成長期にかけ日本各地を転々としながら開業資金を貯めつつ構想を固め、1960年(昭和35年)小倉市魚町で「純中華料理の殿堂 平和会館」を創業した。

1966

1966

沖縄県那覇市天久に「純中華料理の殿堂 平和会館」が開店。

小倉市魚町で創業し順調に営業を続ける中、1966年(昭和41年)、当時アメリカ合衆国統治下の沖縄県那覇市天久に「純中華料理の殿堂 平和会館」をオープン。豪華絢爛な建物、上質な調度品を揃え、ご家族連れの他商談や宴会など幅広く利用された。またその圧倒的な外・内観から映画のロケ地としても利用された。
※写真(下)は当時平和会館で使用した琉球民謡歌集

1970s
1980s

1970s-1980s

中華レストランとして多くのお客様に親しまれる。

1970-80年代に平和會館は中華レストランとして最盛期を迎える。本場中国の一流コックによる多種多様な本格中華、最大200名収容できる大ファミリーレストラン、豪華絢爛な装飾に溢れた大宴会場、さらには結婚式場まで。北九州・小倉の街を代表する中華レストランとして「純中華料理の殿堂 平和會館」は皆が弾むひとときをおくる場を提供し続けた。
※写真(下)は1970〜80年当時のパンフレット

1990s

1990s

豚まんをはじめ、まんとうや中華ちまきなどの販売店に業態転換。

昭和から平成に時代が移った1990年代に、平和會館は時代の流れにあわせてレストランから販売店に業態転換を行う。創業から培ってきた本格的な中華の技術やレシピを生かして、豚まんやまんとう、中華ちまき等の食品を製造。本格的な味をお気軽にご自宅で楽しんでいただけるようお持ち帰り商品として販売した。

2018

2018

全国のお客様に向けてオンラインショップを開設。

1990年代の業態転換から小倉北区魚町でこつこつと営業を続けていたが、もっと全国の方々に平和會館の味を楽しんでほしいという想いと日本各地のお客様からのご要望を受け、2018年(平成30年)オンラインショップを開設。豚まんをはじめとしたすべての食品を、これまで受け継がれてきた味を継承しつつ改良し、より多くの方々に楽しんでいただけるようになる。

2020

2020

小倉魚町銀天街の入口に魚町銀天街店を開店。

2020年(令和2年)、小倉市魚町に「純中華料理の殿堂 平和会館」を創業して60周年を迎えたこの年に、魚町銀天街店をオープン。小倉魚町銀天街の入口(旦過市場の正面)に立地するこの店舗では、商品販売の他豚まん等の製造も行い、製造の様子は小文字通りの歩道から見学できる。
この年に袋のままレンジだけで調理可能なパッケージも登場。シュウマイも30年ぶりに復活した。

2021

2021

小倉駅隣接施設にエキナカ店を開店。本館もリニューアル。

小倉駅隣接施設のリニューアルに伴い、エキナカ店をオープン。「北九州・小倉の味」は、電車や新幹線の利用客の方々からもお土産として購入しやすくなる。また、エキナカ店のオープンと同時期に本館もリニューアル。創業当時のイメージを踏襲した内装は、商品ディスプレイや電照メニュー表を設置してより利用しやすいよう改装した。
創業から61年目のこの年には高菜まんが復活。北部九州のローソンで、当店の豚まんの取り扱いも開始した。